NHK大河ドラマ「いだてん」に映画「不如帰」が登場したのを見て、徳富蘆花の「不如帰」をまだ読んだことがなかったのを思い出した。
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明治時代に書かれた小説などは何十年と読んでいなかったこともあり、現在とはやや異なる文体に最初はとまどってしまった。また、普段目にすることがなく、意味が分からない熟語に少々ひっかかったものの、こちらはキンドル搭載の国語辞書(大辞泉)で対応した。(大辞泉に掲載されている引用文が「不如帰」からのものがあり、この小説の影響力の大きさに驚いた)。
主人公は、幼い時に母を肺病(結核)で亡くした片岡浪子。川島武男海軍少尉と結婚した浪子は、召使の幾を伴い、群馬の伊香保での楽しい時間を過ごしていた。優しい父の片岡陸軍中将、浪子とはうまくいっていない継母、川島家との縁をつないだ伯母の加藤夫人、リュウマチを患い気難しい武男の母、浪子に横恋慕する武男のいとこで陸軍に属する千々岩安彦、武男のことが好きだった浪子の同級生の山木豊、その父で商売人の山木兵造などが登場し、浪子と武男に関わっていく。
肺病を患った浪子は、神奈川の逗子で転地療養する。しかし、武男が軍務で不在の間に、千々岩の策略にのせられた武男の母によって浪子は離縁させられてしまう。日清戦争で負傷した武男は、長崎の佐世保の病院で治療を受けている時に送り主不明の小包を受け取る。宛名の字から浪子と察した武男は、逗子の浪子に手紙を送る。傷が治り、再び戦地へ赴いた武男は、旅順で片岡中将を助ける。東京に戻った片岡中将は、浪子と幾を連れて関西旅行に出かける。京都の山科駅で広島の呉へ向かう武男の乗った列車と、東京へ戻る浪子の乗った列車がすれ違う。浪子の病状はさらに重くなり、そして亡くなってしまう…。
日清戦争が1894年(明治27年)から1895年(明治28年)で、「不如帰」が国民新聞に連載されたのが1898年(明治31年)から1899年(明治32年)。日清戦争の記憶もまだ薄れていないころに、新聞で連載されていた。
肺病も戦死も身近な時代。小説の主人公・浪子は上流階級の実在人物がモデルだったこと、また、小説の登場人物が浪子の味方か対立する側か明らかで、浪子が幸せの絶頂から死という悲劇へ向かう筋立てとなると、小説が大人気となったのも頷ける。
映画化については Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8D%E5%A6%82%E5%B8%B0_(%E5%B0%8F%E8%AA%AC) に詳しい。1909年から頻回に映画化されている。「いだてん」に映画「不如帰」が登場するのは1910年頃の話だから、まさに何度も映画化された時期だった。
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